せいざかんぽうぎょう
  正座観法行


 正座観法行とは、読んで字の如く、正座して(実相、真理)を観ずる修行法の意で、この行法によって、真の己れを知り、神を知り、そして真理を知るのであります。そして観法行の最終目的は、悟りを開いて神と一体になることであります。
(イ)行の実践
 正座は必ずしも日本式の座法だけをいうのでなく、跏座〔かざ〕でも胡坐〔あぐら〕でもよく、要は礼を失しない座り方であればよろしいのです。体の不自由な人は無理をせず楽な気持で座ればよいので、痛い脚を無理して座〔すわ〕る必要はありません。
(註、半跏座の場合は左脚の上に右脚をのせるのが正しく、逆は正座になりません。)
 その他にいくつかの基本と絶対条件および注意事項があります。これらは入門された方に教示します。自宅での独り行は、行の乱れが起こり易いので固く禁じられているからです。
(ロ)行と現象
 正座観法を行ずることによって色々な現象が生じます。百人百様、千人千態の現れがあって、各々その内容が異なります。
 色々の段階を経て行は進みますが、大きく分けると次の六つの段階に分けられます。
(1)単純な霊性開発の段階
(2)罪障〔ざいしょう〕消滅〔しょうめつ〕の段階
(3)所願〔しょがん〕成就〔じょうじゅ〕の段階
(4)真理探究〔しんりたんきゅう〕の段階
(5)求道〔ぐどう〕済度〔さいど〕の段階
(6)成道〔じょうどう〕不動の段階または無上菩提〔ぼだい〕安住の段階
 即ち、最終的には悟りを開き、
即身成仏〔そくしんじょうぶつ〕し、さらには、人にして神、神にして人なる神人一体の境地を体得するところまで行き得るのであります。
 勿論、この最終段階に至るまでには長い時間を要するのでありますが、焦〔あせ〕ることなく気長く続けることであります。
(ハ)行の功徳
 正座観法行を師について正しく行なうことにより、数々の功徳と申しますか御利益がえられます。
 肉体的には細胞〔さいぼう〕組織〔そしき〕の変化につれ皮膚は綺麗になり、内臓機能が変化し健康になります。即ち体質が改善されます。身病あればその病が治ります。精神的には機能が活発になり、物の考え方、行ない方も違って来る様になり、性格までも変ります。心に患いのある人もその患いが癒〔い〕え、心身共に健康清浄な人間に改造されます。
 さらに霊体の浄化が進むと共に、宿業〔しゅくごう〕は祓われ、悪い因縁は正され、霊格は向上します。
 かくて人格と機能の完成を計ることにより、真理悟得の境地に入り、結果的に神格を賜わる様になるのであります。
 この間、自らの病を治すだけでなく、他人の病気を治す加持力〔かぢりき〕や、神の姿を見、神の声を聞く天眼天耳といった通力〔つうりき〕など、種々の神通力〔じんつうりき〕を受け、数々の神秘現象を体験する様にもなります。
 また、行の進行に応じ境地の転換〔てんかん〕が起こり、それまで人間的努力ではなかなか出来なかった事がいとも容易に出来る様になるのは、これも行の功徳の一つでありましょう。
 例えば、長い間の喫煙癖が一夜にしてなくなり、禁煙が何の努力もなしに出来たとか、晩酌のお酒の量が自然に適量に節せられる様になったとか、自分の身体に悪い食物をこれも自然に食べたくなくなって、食生活が改善させられたとか、或いは精神的な面でも、物や金銭等に対する執着がなくなって心からの布施が出来る様になったとか、忍耐強くなったとか、その例を算えあげればきりがありません。
 この様に正座観法行を行ずることによって、私達は色々の形で如実に神により教えられ導かれ、かくて、所願成就、健康増進、福徳円満、生業繁栄等々と数々の御利益を得て、自己一身の救われることはもとより、さらに縁者並びにその周囲までも救われるのでありますから、まことにこの「行」の功徳は灼〔あらたか〕というべきでありましょう。
 しかしながら、正座観法の真の功徳は、この様な、いわゆる御利益を得ることより、むしろ己れを知り、神を知り、己れのこの人生にて果たすべき使命を知って
安心立命〔あんしんりつめい〕の境地を得ることにあるといえます。そして、最終的には、あくまで、人間としての完成を計り、神と一体になる事を目指して精進〔しょうじん〕すべきであることを忘れてはなりません。